北海道
当時の塗装です。 ポプラと記された小さなヘッドマークが取り付けられていました。
郵便車も青函連絡船で航走されていました。 郵便車自体も懐かしいものになってしまいました。
急行の表示がありますが、当時既に江差線の急行は廃止されていました。
写っている車両はキハ40-208。キハ40系が登場したばかりの時代でした。
キハ22、2両編成。胆振線も昭和61(1986)年に廃止されました。
函館本線小沢駅。岩内線への乗換駅でした。 写真は昭和57年3月岩内線乗車時の写真。跨線橋のスローガンが昭和を感じます。 岩内線も昭和60(1985)年に廃止されました。
昭和57年3月、夜の石北本線を抜けて走ってきた旧型客車のドアには雪が付着していました。
昭和57(1982)年、北海道乗りつぶし旅行の時の写真です。 今では名寄本線自体が廃線になりました。
昭和57年、北海道内には旧型客車の夜行列車が走っていました。
名寄本線の支線、中湧別-湧別間は朝夕1日2往復の運行でした。 夕方の便にあわせて乗りつぶしのプランをたてました。 平成元(1989)年、名寄本線の廃止に伴い、湧別駅も廃止されました。
昭和57年、宗谷本線旅行中の1コマです。乗車したのは客車列車でした。 今では神路駅自体が廃駅となってしまいました。
湧別駅の写真はこちらです。
昭和57(1982)年、国鉄乗りつぶしを中、増毛駅で撮影した写真です。
青函トンネル開通前、鉄道で北海道に行くには青函連絡船に4時間弱揺られて北海道に上陸しました。 夜行の連絡船を接続して早朝の函館駅には札幌行きの特急(室蘭本線周りの北斗と函館本線経由の北海)が並んで乗り継ぎ客を待っていました。
札幌からの夜行列車、多くの乗客が下車しました。
天北線乗車時の運転席後ろから撮影。 天北線は平成元(1989)年に廃止されました。
国鉄全線乗りつぶしで万字線を訪れました。 万字線は昭和60(1985)年に廃止になりました。
山線区間の銀山駅にて。
この列車は客車のみ4両を重連の蒸気機関車が牽引していました。 室蘭本線栗山ー栗丘で撮影。
昭和50(1975)年、国鉄の蒸気機関車終焉の年。北の地には多くの鉄道ファンが集結していました。
室蘭本線栗山-栗丘間で撮影。 鉄道による小荷物輸送を行っており、前の4両は荷物車連結でした。