北陸本線
1985(昭和60)年から1992(平成4)年までの7年弱、石川県加賀地方で暮らしていました。休日は金沢に出かけるのが楽しみでした。 上は地上の改札口、下は地下の改札口です。
登場時の塗装です。 当時はTownとれいんのヘッドマークをつけていました。 昭和62年1月撮影。
昭和62年のJR移行前に撮影したものです。 この塗装は短命で終わりました。
昭和61年(1986年)から27年後の2013年の訪問記事。 粟津駅の大きな看板文字はなくなったけど駅舎の基本は変わっていないようです。
交直流電車はこの塗装が標準だった時代です。
寝台電車として登場した583系電車。日中は臨時特急として運用されることもありました。 昭和61(1986)年、北陸本線富山駅にて撮影。
北陸本線小松駅1985年6月にこの駅に初めて降り立ち、ここから10キロほど離れた町で7年弱を過ごしました。 写真は1986年に撮影したものです。
駅ビルにデパートがある昭和の典型的な駅であった富山駅。 駅前の停車中のバスには冷房バスと表示されています。
413系電車は交直流急行型電車の電装品・台車などを流用し、車体のみ新造した近郊形電車で昭和61年から順次北陸本繊に投入されました。 写真は昭和61年登場時の写真です。塗装は旧北陸色でした。
写真は北陸線旧松任駅舎。今は北陸新幹線の高架も出来、駅前も再開発で当時の面影は残っていないようです。 撮影年は不明ですが右に松任駅開業88周年の文字があるので1986年としました。 当時は松任駅からバスでアクセスする能美郡に住んでいました。
これが3代目駅舎でした。
北陸本線から客車列車(普通列車)が全廃されたのは昭和60(1985)年3月のダイヤ改正でした。 ダイヤ改正の直前に直江津駅で撮影した1枚です。
夏の青春18きっぷで北陸本線乗り継ぎ中に撮影。
昭和52年、北陸本線親不知付近を行く貨物列車。 当時はまだ海の上に高速道路がなく海岸線を眺めることが出来ました。
写真に記録したメモから3424Mと記載されているので糸魚川-富山間快速、富山から急行立山になる電車です。半室ビュッフェのサハシ(当時は既に営業休止か)とグリーン車2両を連結した堂々たる編成で、まだまだ急行電車花盛りの時代でした。
昭和52年北陸本線越中宮崎ー市振間で撮影。 この場所もJRからあいの風とやま鉄道になってしまいました。