東海道本線
民衆駅。駅舎の建設を国鉄と地元が共同で行い、その代わりに商業施設を設けた駅で昭和を代表する佇まいがあります。 写真はその1号だった豊橋駅です。
青春18きっぷで東に向かっている途中に乗り継ぎ時間に途中下車して撮影。 現在の建替えられて駅舎もこのスタイルを踏襲しています。
タクシー乗り場は移転しましたが、バスターミナルがある駅前広場の位置は今も同じですが、バス窓が時代を感じさせます。
名鉄バスセンターへ行く階段から撮影したものです。
名古屋21:25発東京行き夜行普通電車。
昭和50年代、東海道本線には小荷物・郵便輸送専用の荷物列車が走っていました。 東海道線 新垂井ー関ヶ原。
東海道本線東京口に80系電車が走っていました。 撮影地は今でも有名撮影地の東海道線早川ー根府川間の石橋鉄橋です。
昭和50(1975)年、東海道本線早川駅ー根府川駅で撮影。
寝台特急電車金星号の間合い運用の583系特急しらさぎ。 東海道本線柏原-近江長岡間で撮影。
クモユニ、クモニを各1両ずつ連結し、旅客輸送だけでなく郵便・荷物輸送も兼ねた列車でした。 東海道本線共和ー大高間で撮影。先頭車両はクモユニ74です。
昭和50(1975)年、東海道本線柏原駅ー近江長岡駅で撮影。 165系は東海道線の普通電車、新幹線の通過タイミングとあいました。
国鉄唯一の8動軸機のEH10型電気機関車。 東海道本線共和ー大高間で撮影。
東海道本線共和-大高間で撮影。
写真は東海道本線共和-大高間で高架線を降りてきたところ。西側に南方貨物線の用地がありそこから撮影したと記憶しています。 今は南大高駅が出来て周囲の景色も変わりました。
武豊線、2015年春ようやく電化されます。 昭和の時代は通勤用気動車キハ35が走っていました。 東海道本線共和-大高間で撮影。右側の空地は南方貨物線用地です。
急行兼六 名古屋ー金沢間に1往復設定されていました。 名古屋駅で交直流型急行電車を見ることが出来ました。 撮影日は1975年3月のダイヤ改正による廃止前です。
昭和50(1975)年、主要幹線の急行電車はヘッドマーク付でした。急行ゆのくには大阪ー金沢間を米原経由で結んでいました。 写真は大阪駅にて撮影したものです。
山陽新幹線博多開業前、新大阪-大分間で運行されていた特急”みどり”。 大阪駅で撮影しました。
この写真は撮影日が全く記載されていなkったのですが、東海道本線の電車の先頭車両に京阪神新快速が混じっているので昭和55年頃ではないかと考えています。 この時代もホームの端には鉄道小僧がいました。私もその1人でした。
昭和49(1974)年大阪駅にて撮影。 快速電車として運用しているのでヘッドマークがユニークです。
湖西線開業前、特急雷鳥号は米原経由でした。 雪の米原を行くボンネット型の特急雷鳥号。 撮影の当時中学1年生、雪国は憧れの地でしたが、夢にもその11年後、その雪国に赴任することは知るすべもありませんでした。