駅
東赤谷駅は、国鉄赤谷線の終着駅でした。赤谷線廃止に伴い昭和59(1984)年(昭和59年)に廃止されました。
名鉄尾西線の終着駅玉ノ井。駅舎のない無人駅で駅前には駐輪場があります。 平成24(2012)年の訪問記事です。
名鉄竹鼻線、江吉良-大須間は平成13(2001)年に廃止されました。 この駅舎は廃止の前の平成10(1998)年に解体されたとのことです。
現在も当時の駅舎を改修して使用しています。 平成24(2012)年の訪問記事です。
駅名は可児市制施行の昭和57(1982)年に新可児駅に改称されました。 この駅舎も今は建替えられて残っていません。 平成23(2011)年の訪問記事です。
八百津線は平成13(2001)年に廃止になり、駅舎も解体撤去されました。
駅ビル、歩道橋、バス停の位置関係は今も同じかもしれません。
昭和55年の名鉄新岐阜駅前の様子です。 安全地帯もない道路の中央が名鉄岐阜市内線の新岐阜駅前電停でした。
名鉄美濃町線の終着駅、美濃駅です。 こちらが34年後の平成26年の訪問写真です。
天北線乗車時の運転席後ろから撮影。 天北線は平成元(1989)年に廃止されました。
現在は移転し、地下駅になったJR難波駅の前身です。
昭和54(1979)年、初めて四国に行きました。 写真は海に面している土讃本線安和駅です。 今は駅舎もなく、行き違い設備も撤去されているようです。
スイッチバックで有名な土讃本線坪尻駅。山の上を走る国道まで上って駅を俯瞰しました。
中央東線東塩尻信号所。スイッチバック式の信号所で、仮乗降場も設置されていました。 1983年に塩嶺トンネル経由の新線開業とともに廃止されました。今では特急列車は全て新線経由になっています。 429Mとあずさ号。
昭和50年代、急行電車も多数走っていました。 急行よねやまは上野ー長岡ー直江津間を走行しており12両編成でした。
この写真は撮影日が全く記載されていなkったのですが、東海道本線の電車の先頭車両に京阪神新快速が混じっているので昭和55年頃ではないかと考えています。 この時代もホームの端には鉄道小僧がいました。私もその1人でした。
現在金山総合駅がある場所、昭和48年は東海道本線には駅がなく、名鉄は南側に金山橋駅がありました。 中央西線電化直後は、キハ181系のしなのの運行も残っていました。