駅ビルにデパートがある昭和の典型的な駅であった富山駅。 駅前の停車中のバスには冷房バスと表示されています。
北陸本線小松駅1985年6月にこの駅に初めて降り立ち、ここから10キロほど離れた町で7年弱を過ごしました。 写真は1986年に撮影したものです。
雨晴海岸を行く氷見線の列車。 キハ35系が活躍中でした。
413系電車は交直流急行型電車の電装品・台車などを流用し、車体のみ新造した近郊形電車で昭和61年から順次北陸本繊に投入されました。 写真は昭和61年登場時の写真です。塗装は旧北陸色でした。
飯田線用119系電車、登場時は非冷房車でした。 119系電車は早々と過去のものになってしまいました。
写真は北陸線旧松任駅舎。今は北陸新幹線の高架も出来、駅前も再開発で当時の面影は残っていないようです。 撮影年は不明ですが右に松任駅開業88周年の文字があるので1986年としました。 当時は松任駅からバスでアクセスする能美郡に住んでいました。
ヘッドマークつきの高徳本線を走っていた急行阿波号。 国鉄末期の昭和61(1986)年、このような塗装も登場していました。
昭和60(1985)年から平成4(1992)年まで石川県で過ごしました。 写真は、北陸鉄道浅野川線内灘駅で撮影したものと思われます。
昭和60(1985)年に茨城県で開催されたつくば科学万博のアクセス用に運行されたエキスポライナー。ヘッドマークが取り付けられていました。
国鉄山田線、三陸鉄道釜石駅構内。 バックは新日本製鐵釜石製鐵所です。
奥羽本線の特急電車。今では山形新幹線が走っています。
北陸本線から客車列車(普通列車)が全廃されたのは昭和60(1985)年3月のダイヤ改正でした。 ダイヤ改正の直前に直江津駅で撮影した1枚です。
平成27(2015)年現在、当時の駅舎を使っていますが、JRからえちごトキめき鉄道に移管されました。
これが3代目駅舎でした。
福知山線電化前はDD51牽引の客車列車が主力でした。 福知山線谷川駅にて撮影。
国鉄奈良線、昭和59(1984)年に電化され103系を改造した105系電車が投入されました。 写真は京都駅停車中の105系電車です。
新羽島駅停車中の名鉄3800系電車。 この当時は非冷房車も多く冷房車がやってくると運が良いと感じる時代でした。
昭和59(1984)年、第三セクター移管直前の9月に撮影した国鉄樽見線普通列車です。 キハ48+キハ26の2両編成でした。谷汲口付近にて撮影。
現在残っている旧谷汲駅はこの後新たに建設されたものです。
国鉄から第三セクターの樽見鉄道に転換廃止直前の写真です。 2013年の訪問記事もブログにアップしていました。
名鉄揖斐線は平成13(2001)年に廃止され、駅舎も解体されました。 この写真撮影してから28年後の平成24(2012)年に岐阜県揖斐川町内を散策しています。
夏の青春18きっぷで北陸本線乗り継ぎ中に撮影。
旧型国電の天国だった身延線も115系が投入され旧型国電が淘汰されました。 荷物郵便輸送用にクモユニ143が投入されました。 写真は、先頭が身延色のクモユニ143の身延線普通電車、甲府駅で撮影したものです。
青春18きっぷで東に向かっている途中に乗り継ぎ時間に途中下車して撮影。 現在の建替えられて駅舎もこのスタイルを踏襲しています。
タクシー乗り場は移転しましたが、バスターミナルがある駅前広場の位置は今も同じですが、バス窓が時代を感じさせます。
2つの塗装の編成が連結されていました。
重連のEF63を横川側に連結して横川-軽井沢間の碓氷峠越えをする115系普通電車です。 荷物電車も連結していました。
阪和線色113系の快速電車。 和歌山駅にて撮影。
高知発高松行き普通列車DE10牽引で50系客車3両編成でした。 土讃本線豊永駅で撮影。
阿波池田駅停車中のヘッドマークつきの急行よしの川。