国鉄
登場時の塗装です。 当時はTownとれいんのヘッドマークをつけていました。 昭和62年1月撮影。
昭和62年のJR移行前に撮影したものです。 この塗装は短命で終わりました。
当時の塗装です。 ポプラと記された小さなヘッドマークが取り付けられていました。
駅前には名金線の国鉄バスが停車中でした。
民衆駅。駅舎の建設を国鉄と地元が共同で行い、その代わりに商業施設を設けた駅で昭和を代表する佇まいがあります。 写真はその1号だった豊橋駅です。
中央線坂下駅、現在は改装されています開業当時の駅舎を利用しています。
昭和61年に撮影した高山本線下呂駅の駅舎です。 現在もこの駅舎を改装して使用しています。
昭和61年(1986年)から27年後の2013年の訪問記事。 粟津駅の大きな看板文字はなくなったけど駅舎の基本は変わっていないようです。
DD51牽引の12系客車を使用した普通列車が走っていました。 写真の列車は当時の乗車記録から米子発大阪行726レではないかと思います。
この写真は撮影場所も列車名も不明ですが、撮影日だけは乗車記録から昭和61(1986)年10月11日、山陰旅行時のヒトコマだと推定してます。 青色の車両は荷物・郵便車スユニ50でしょう。
左側の気動車は木次線の列車です。
直流電化の富山港線、旧型国電廃止後は北陸本線の交直流電車が運用されていました。 岩瀬浜駅付近にて撮影。
交直流電車はこの塗装が標準だった時代です。
昭和61年撮影。北陸色の交直流電車が運用されていました。
高山本線高山駅駅舎。 昭和9(1934)年開業時から使用されてきた駅舎も平成26(2014)年に建替えのため、その役目を終えました…
寝台電車として登場した583系電車。日中は臨時特急として運用されることもありました。 昭和61(1986)年、北陸本線富山駅にて撮影。
北陸本線小松駅1985年6月にこの駅に初めて降り立ち、ここから10キロほど離れた町で7年弱を過ごしました。 写真は1986年に撮影したものです。
駅ビルにデパートがある昭和の典型的な駅であった富山駅。 駅前の停車中のバスには冷房バスと表示されています。
特急北アルプス、名鉄の車両を使用した名鉄-国鉄高山線直通の列車でした。
昭和61年撮影。
高山本線飛騨古川駅駅舎、昭和9(1934)年開業当初の駅舎です。 平成27(2015)年5月現在も改装しながらこの駅舎を使用しています。
413系電車は交直流急行型電車の電装品・台車などを流用し、車体のみ新造した近郊形電車で昭和61年から順次北陸本繊に投入されました。 写真は昭和61年登場時の写真です。塗装は旧北陸色でした。
雨晴海岸を行く氷見線の列車。 キハ35系が活躍中でした。
飯田線用119系電車、登場時は非冷房車でした。 119系電車は早々と過去のものになってしまいました。
写真は北陸線旧松任駅舎。今は北陸新幹線の高架も出来、駅前も再開発で当時の面影は残っていないようです。 撮影年は不明ですが右に松任駅開業88周年の文字があるので1986年としました。 当時は松任駅からバスでアクセスする能美郡に住んでいました。
ヘッドマークつきの高徳本線を走っていた急行阿波号。 国鉄末期の昭和61(1986)年、このような塗装も登場していました。
国鉄山田線、三陸鉄道釜石駅構内。 バックは新日本製鐵釜石製鐵所です。
昭和60(1985)年に茨城県で開催されたつくば科学万博のアクセス用に運行されたエキスポライナー。ヘッドマークが取り付けられていました。
奥羽本線の特急電車。今では山形新幹線が走っています。
これが3代目駅舎でした。