ぞうまさの昔の鉄道写真集

昭和から平成のはじめの時代に撮影した鉄道・路線バスなどの写真をアップします。※万一お気に入りの写真があれば、私的な保存などは構いませんが、改変・転載等はご遠慮ください。

1982-01-01から1年間の記事一覧

昭和57年 名古屋駅を発車する東海道本線上り普通電車

名鉄バスセンターへ行く階段から撮影したものです。

昭和57年 飯田線の80系電車

中部天竜駅にて。

昭和57年 弥彦線越後長沢駅停車中のディゼルカー

弥彦線東三条-越後長沢間は昭和60(1985)年に廃止されました。

昭和57年 越美北線九頭竜湖駅

夏のローカル線、非冷房車が当たり前でした。

昭和57年 山陰本線の旧型客車

昭和57年 山陰本線の客車列車は50系化が進んでいたが、旧型車両も健在でした。 写真は赤碕駅停車中の、客車列車。当時の乗車記録から京都発出雲市行きの夜行普通列車と思われる。

関西本線 名古屋・亀山電化前夜

昭和57年5月16日、亀山駅にて撮影。

昭和57年 山陰本線50系客車

50系客車。旧型客車の後継として昭和50年代に誕生しました。 伯耆大山駅にて撮影。

昭和57年 播但線飾磨港駅

播但線、姫路ー飾磨港駅間は1日2往復の運行。 国鉄全線乗車を目指していた当時、夕方の1往復にあわせて訪問しました。 1986(昭和61)年に廃止になりました。

昭和57年 山陰本線餘部鉄橋

通過していくのは当時数多く走っていた急行列車と思われます。

昭和57年 東北本線特急やまびこ

東北新幹線開業直前の写真です。 宇都宮駅にて撮影。

昭和57年 真岡線茂木駅停車中のキハ20

ホーム上には小荷物が置かれています。

昭和57年 函館駅停車中の江差線普通列車

写っている車両はキハ40-208。キハ40系が登場したばかりの時代でした。

昭和57年 江差線江差駅停車中のキハ27

急行の表示がありますが、当時既に江差線の急行は廃止されていました。

昭和57年 函館駅構内

郵便車も青函連絡船で航走されていました。 郵便車自体も懐かしいものになってしまいました。

昭和57年 伊達紋別駅停車中の胆振線普通列車

キハ22、2両編成。胆振線も昭和61(1986)年に廃止されました。

小沢駅で発車を待つ岩内線の列車

函館本線小沢駅。岩内線への乗換駅でした。 写真は昭和57年3月岩内線乗車時の写真。跨線橋のスローガンが昭和を感じます。 岩内線も昭和60(1985)年に廃止されました。

夜の石北本線を走って来た急行大雪

昭和57年3月、夜の石北本線を抜けて走ってきた旧型客車のドアには雪が付着していました。

昭和57年 湧別駅停車中のキハ22

湧別駅の写真はこちらです。

宗谷本線神路駅 駅名標

昭和57年、宗谷本線旅行中の1コマです。乗車したのは客車列車でした。 今では神路駅自体が廃駅となってしまいました。

昭和57年 湧別駅

名寄本線の支線、中湧別-湧別間は朝夕1日2往復の運行でした。 夕方の便にあわせて乗りつぶしのプランをたてました。 平成元(1989)年、名寄本線の廃止に伴い、湧別駅も廃止されました。

網走駅で出発を待つ急行大雪6号

昭和57年、北海道内には旧型客車の夜行列車が走っていました。

渚滑駅停車中の名寄本線の普通列車

昭和57(1982)年、北海道乗りつぶし旅行の時の写真です。 今では名寄本線自体が廃線になりました。

昭和57年 早朝の函館駅

青函トンネル開通前、鉄道で北海道に行くには青函連絡船に4時間弱揺られて北海道に上陸しました。 夜行の連絡船を接続して早朝の函館駅には札幌行きの特急(室蘭本線周りの北斗と函館本線経由の北海)が並んで乗り継ぎ客を待っていました。

増毛駅で出発を待つキハ22

昭和57(1982)年、国鉄乗りつぶしを中、増毛駅で撮影した写真です。

昭和57年 急行うおの

飯山線十日町駅から越後川口まで乗車した普通列車、越後川口駅から急行「うおの」になり新潟に向かっていきました。

昭和57年 飯山線下り一番列車

飯山線の下り一番列車、朝の通勤通学輸送対応の回送も兼ね長大編成で運用されていました。 飯山駅で撮影。

昭和57年 名鉄瀬戸線大曽根駅

名鉄瀬戸線大曽根駅は昭和58(1983)年に高架化されました。

昭和57年 名鉄瀬戸線小幡駅前

駅前通り、お店の看板が昭和の時代を思い出させてくれます。

昭和57年 名鉄新名古屋駅前

通りの反対側から新名古屋駅の表示を入れて撮影したものです。