1977-01-01から1年間の記事一覧
昭和52年に撮影。 しなの鉄道になり長大編成の電車も走らなくなりました。
昭和52年に撮影。 この区間は北陸新幹線開業とともにしなの鉄道になりました。
昭和50年代前半、地方の本線系統には多くの客車普通列車が走っていました。 写真は信越本線妙高高原駅近くで撮影したものです。 当時はわざわざこの客車列車を目的に撮影に出かけていたようです。
中央東線東塩尻信号所。スイッチバック式の信号所で、仮乗降場も設置されていました。 1983年に塩嶺トンネル経由の新線開業とともに廃止されました。今では特急列車は全て新線経由になっています。 429Mとあずさ号。
昭和52(1977)年、日本海縦貫線には多くの客車列車が走っていました。 青海川駅を俯瞰する構図は急行よねやまと同じ日に撮影しました。
信越本線鯨波駅付近にて昭和52年撮影。
先頭車がボンネット型クハ481の特急北越号。 信越本線 米山ー笠島にて撮影。
昭和50年代、急行電車も多数走っていました。 急行よねやまは上野ー長岡ー直江津間を走行しており12両編成でした。
昭和52年北陸本線越中宮崎ー市振間で撮影。 この場所もJRからあいの風とやま鉄道になってしまいました。
写真に記録したメモから3424Mと記載されているので糸魚川-富山間快速、富山から急行立山になる電車です。半室ビュッフェのサハシ(当時は既に営業休止か)とグリーン車2両を連結した堂々たる編成で、まだまだ急行電車花盛りの時代でした。
昭和52年、北陸本線親不知付近を行く貨物列車。 当時はまだ海の上に高速道路がなく海岸線を眺めることが出来ました。
昭和の時代、中央西線には首都圏から転属となった旧型国電が走っていました。 定光寺にて672M