ぞうまさの昔の鉄道写真集

昭和から平成のはじめの時代に撮影した鉄道・路線バスなどの写真をアップします。※万一お気に入りの写真があれば、私的な保存などは構いませんが、改変・転載等はご遠慮ください。

1977-03-01から1ヶ月間の記事一覧

東塩尻信号所にて

中央東線東塩尻信号所。スイッチバック式の信号所で、仮乗降場も設置されていました。 1983年に塩嶺トンネル経由の新線開業とともに廃止されました。今では特急列車は全て新線経由になっています。 429Mとあずさ号。

信越本線青海川駅を行く客車列車

昭和52(1977)年、日本海縦貫線には多くの客車列車が走っていました。 青海川駅を俯瞰する構図は急行よねやまと同じ日に撮影しました。

日本海沿いを行く荷物列車

信越本線鯨波駅付近にて昭和52年撮影。

日本海沿いを行く特急北越

先頭車がボンネット型クハ481の特急北越号。 信越本線 米山ー笠島にて撮影。

信越本線青海川駅を通過する急行よねやま

昭和50年代、急行電車も多数走っていました。 急行よねやまは上野ー長岡ー直江津間を走行しており12両編成でした。

北陸本線を行く「北越1号」

昭和52年北陸本線越中宮崎ー市振間で撮影。 この場所もJRからあいの風とやま鉄道になってしまいました。

北陸本線親不知駅を通過する交直流快速電車

写真に記録したメモから3424Mと記載されているので糸魚川-富山間快速、富山から急行立山になる電車です。半室ビュッフェのサハシ(当時は既に営業休止か)とグリーン車2両を連結した堂々たる編成で、まだまだ急行電車花盛りの時代でした。

北陸本線親不知を行く貨物列車

昭和52年、北陸本線親不知付近を行く貨物列車。 当時はまだ海の上に高速道路がなく海岸線を眺めることが出来ました。

中央西線定光寺を行く旧型国電

昭和の時代、中央西線には首都圏から転属となった旧型国電が走っていました。 定光寺にて672M