国鉄
50系客車。旧型客車の後継として昭和50年代に誕生しました。 伯耆大山駅にて撮影。
昭和57年5月16日、亀山駅にて撮影。
播但線、姫路ー飾磨港駅間は1日2往復の運行。 国鉄全線乗車を目指していた当時、夕方の1往復にあわせて訪問しました。 1986(昭和61)年に廃止になりました。
通過していくのは当時数多く走っていた急行列車と思われます。
東北新幹線開業直前の写真です。 宇都宮駅にて撮影。
ホーム上には小荷物が置かれています。
郵便車も青函連絡船で航走されていました。 郵便車自体も懐かしいものになってしまいました。
急行の表示がありますが、当時既に江差線の急行は廃止されていました。
写っている車両はキハ40-208。キハ40系が登場したばかりの時代でした。
キハ22、2両編成。胆振線も昭和61(1986)年に廃止されました。
函館本線小沢駅。岩内線への乗換駅でした。 写真は昭和57年3月岩内線乗車時の写真。跨線橋のスローガンが昭和を感じます。 岩内線も昭和60(1985)年に廃止されました。
昭和57年3月、夜の石北本線を抜けて走ってきた旧型客車のドアには雪が付着していました。
昭和57(1982)年、北海道乗りつぶし旅行の時の写真です。 今では名寄本線自体が廃線になりました。
昭和57年、北海道内には旧型客車の夜行列車が走っていました。
名寄本線の支線、中湧別-湧別間は朝夕1日2往復の運行でした。 夕方の便にあわせて乗りつぶしのプランをたてました。 平成元(1989)年、名寄本線の廃止に伴い、湧別駅も廃止されました。
昭和57年、宗谷本線旅行中の1コマです。乗車したのは客車列車でした。 今では神路駅自体が廃駅となってしまいました。
湧別駅の写真はこちらです。
昭和57(1982)年、国鉄乗りつぶしを中、増毛駅で撮影した写真です。
青函トンネル開通前、鉄道で北海道に行くには青函連絡船に4時間弱揺られて北海道に上陸しました。 夜行の連絡船を接続して早朝の函館駅には札幌行きの特急(室蘭本線周りの北斗と函館本線経由の北海)が並んで乗り継ぎ客を待っていました。
飯山線の下り一番列車、朝の通勤通学輸送対応の回送も兼ね長大編成で運用されていました。 飯山駅で撮影。
飯山線十日町駅から越後川口まで乗車した普通列車、越後川口駅から急行「うおの」になり新潟に向かっていきました。
昭和56(1981)年 穴水駅で撮影。 キハ26も急行に使用されていました。
ローカル線にも客車列車が走っていました。 鯵ヶ沢駅にて撮影。
東赤谷駅は、国鉄赤谷線の終着駅でした。赤谷線廃止に伴い昭和59(1984)年(昭和59年)に廃止されました。
男鹿線にも客車列車が走っていました。 男鹿線男鹿駅にて撮影。
昭和56年 大糸線にも旧型国電が走っていました。 大糸線安積沓掛にて撮影。 223Mクモハ43810他。
身延線も最後の旧型国電の活躍の場でした。 波高島駅付近にてクハ68093他。
特急”富士”。撮影時は東京-宮崎間の運行でした。 山陽本線宇部駅にて撮影。
客車列車には荷物車をつないでいました。 東北本線野辺地駅にて撮影。
昭和56(1981)年に中央本線鶴舞の高架線を撮影した写真です。 高架線の風景は30年以上経ってもあまり変わっていません。