ヘッドマークをつけた急行土佐号が入線してきました。1両目は荷物用気動車で、荷物輸送も兼ねていたようです。 この時代の四国内の急行列車には列車名を記したヘッドマークがつけられていました。
明治30(1897)年に建築された駅舎でしたが、高架化に伴い平成19(2007)年に解体されました。
昭和58(1983)年、北海道旅行の1枚です。
昭和58(1983)年青森駅で撮影。
古い写真を探していたら両親のお墓がある場所の裏山から撮った飯田線旧型国電の写真がありました。 撮影時期から119系置き換え直前の頃と思います。その119系も今は既に廃車となりました… 約32年後の 2014年12月27日撮影の写真です。 http:/…
昭和58年1月の飯田線、80系電車とともに旧型国電も走っていました。
飯田線が旧型電車から119系電車に置き換え直前の時代でした。 飯田線湯谷-三河槙原にて撮影。
飯田線の急行伊那。昭和58年は165系が使用されていました。
昭和58年、飯田線出馬-上市場にて。
写真裏に記載したメモにクハユニ56002(左側)、クモハ53001(右側)と記していました。 クハユニ56は荷物・郵便車・座席車合体の車両、飯田線沿線の荷物・郵便輸送に活躍していました。
昭和58(1983)年1月、名古屋本線桜駅にて撮影。
名鉄バスセンターへ行く階段から撮影したものです。
中部天竜駅にて。
弥彦線東三条-越後長沢間は昭和60(1985)年に廃止されました。
夏のローカル線、非冷房車が当たり前でした。
昭和57年 山陰本線の客車列車は50系化が進んでいたが、旧型車両も健在でした。 写真は赤碕駅停車中の、客車列車。当時の乗車記録から京都発出雲市行きの夜行普通列車と思われる。
昭和57年5月16日、亀山駅にて撮影。
50系客車。旧型客車の後継として昭和50年代に誕生しました。 伯耆大山駅にて撮影。
播但線、姫路ー飾磨港駅間は1日2往復の運行。 国鉄全線乗車を目指していた当時、夕方の1往復にあわせて訪問しました。 1986(昭和61)年に廃止になりました。
通過していくのは当時数多く走っていた急行列車と思われます。
東北新幹線開業直前の写真です。 宇都宮駅にて撮影。
ホーム上には小荷物が置かれています。
写っている車両はキハ40-208。キハ40系が登場したばかりの時代でした。
急行の表示がありますが、当時既に江差線の急行は廃止されていました。
郵便車も青函連絡船で航走されていました。 郵便車自体も懐かしいものになってしまいました。
キハ22、2両編成。胆振線も昭和61(1986)年に廃止されました。
函館本線小沢駅。岩内線への乗換駅でした。 写真は昭和57年3月岩内線乗車時の写真。跨線橋のスローガンが昭和を感じます。 岩内線も昭和60(1985)年に廃止されました。
昭和57年3月、夜の石北本線を抜けて走ってきた旧型客車のドアには雪が付着していました。
湧別駅の写真はこちらです。
昭和57年、宗谷本線旅行中の1コマです。乗車したのは客車列車でした。 今では神路駅自体が廃駅となってしまいました。