名寄本線の支線、中湧別-湧別間は朝夕1日2往復の運行でした。 夕方の便にあわせて乗りつぶしのプランをたてました。 平成元(1989)年、名寄本線の廃止に伴い、湧別駅も廃止されました。
昭和57年、北海道内には旧型客車の夜行列車が走っていました。
昭和57(1982)年、北海道乗りつぶし旅行の時の写真です。 今では名寄本線自体が廃線になりました。
青函トンネル開通前、鉄道で北海道に行くには青函連絡船に4時間弱揺られて北海道に上陸しました。 夜行の連絡船を接続して早朝の函館駅には札幌行きの特急(室蘭本線周りの北斗と函館本線経由の北海)が並んで乗り継ぎ客を待っていました。
昭和57(1982)年、国鉄乗りつぶしを中、増毛駅で撮影した写真です。
飯山線十日町駅から越後川口まで乗車した普通列車、越後川口駅から急行「うおの」になり新潟に向かっていきました。
飯山線の下り一番列車、朝の通勤通学輸送対応の回送も兼ね長大編成で運用されていました。 飯山駅で撮影。
名鉄瀬戸線大曽根駅は昭和58(1983)年に高架化されました。
駅前通り、お店の看板が昭和の時代を思い出させてくれます。
通りの反対側から新名古屋駅の表示を入れて撮影したものです。
この時は犬吠崎近くのユースホステルに泊まり犬吠崎に行きました。 外川駅にて撮影。
鹿島港から成田空港への燃料輸送の見返り旅客営業して鹿島臨海鉄道鹿島臨港線鹿島港南駅。 営業は昭和53(1978)年から昭和58(1983)年までのわずか5年間でした。
昭和56年当時、鹿島臨海鉄道の旅客営業区間は北鹿島(鹿島神宮-北鹿島間は国鉄鹿島線)ー鹿島港南駅間で1日3往復の運行でした。 北鹿島駅はスイッチバックのため停車するものの乗降は出来ず、旅客列車は鹿島神宮-鹿島港南駅間で運行されていました。 …
昭和56(1981)年 穴水駅で撮影。 キハ26も急行に使用されていました。
ローカル線にも客車列車が走っていました。 鯵ヶ沢駅にて撮影。
写真は七戸駅停車中のキハ102。 南部縦貫鉄道は平成9(1997)年休止、平成14(2002)年に廃止されました。
東赤谷駅は、国鉄赤谷線の終着駅でした。赤谷線廃止に伴い昭和59(1984)年(昭和59年)に廃止されました。
男鹿線にも客車列車が走っていました。 男鹿線男鹿駅にて撮影。
昭和56年東北旅行の時、同和鉱業花岡線に乗車。 写真は大館駅で撮影したものです。
梅田駅にて撮影。
昭和56年 大糸線にも旧型国電が走っていました。 大糸線安積沓掛にて撮影。 223Mクモハ43810他。
身延線も最後の旧型国電の活躍の場でした。 波高島駅付近にてクハ68093他。
特急”富士”。撮影時は東京-宮崎間の運行でした。 山陽本線宇部駅にて撮影。
名鉄竹鼻線、江吉良-大須間は平成13(2001)年に廃止されました。 この駅舎は廃止の前の平成10(1998)年に解体されたとのことです。
名鉄尾西線の終着駅玉ノ井。駅舎のない無人駅で駅前には駐輪場があります。 平成24(2012)年の訪問記事です。
八百津線は平成13(2001)年に廃止になり、駅舎も解体撤去されました。
駅名は可児市制施行の昭和57(1982)年に新可児駅に改称されました。 この駅舎も今は建替えられて残っていません。 平成23(2011)年の訪問記事です。
現在も当時の駅舎を改修して使用しています。 平成24(2012)年の訪問記事です。
客車列車には荷物車をつないでいました。 東北本線野辺地駅にて撮影。
駅ビル、歩道橋、バス停の位置関係は今も同じかもしれません。